かんぺいで変換したら寛平になった。勘平は死語か、DVDで五段目、六段目を観る。菊五郎の一人芝居、忠臣蔵の大きな物語の中で、勘平だけが何故クローズアップされているんだろう。他にもいろいろ話題がある中でお軽勘平だけが今に舞台に残っている面白さ、集団に遅れ、華やかな道行きの後、早まって、腹を切り、お軽は大石と絡む、終結への大事な流れをうまくあしらった作者の腕か。
歌舞伎の良さは同じ外題で役者が変わって登場する。今回は仁左衛門、苦み走ったいい大石だ。頭領の貫禄十分。役者で面白かったのが梅玉の定九郎、あの人の定九郎は思いもよらなかった。役者は何でもこなせる。東蔵のおかやがちょっと太り気味だが、うまいもんだ。お軽は福助に変わった。ちょっとハイキーの声音が気になるが美しさは特別。前半が時蔵だったが好みもあろうが甲乙つけがたい。
四時間近い、DVDは一度に見切れない。何度かに分けることになる。そんなわけで今日はここまで。
昨日も満員御礼の垂れ幕が下がった。
相撲のテレビ観戦の楽しみは、勝敗だけではない。
観客の反応もおもしろい。申し合わせたように唇をぐっと噛んでいる。自分が取り組んでいるような表情。すごい緊張感だ。取り組みが済むと、その緊張感がほぐれる。
殊に砂かぶりに陣取る人たちは並のファンとは違う。観戦プロみたいなご連中だから表情も豊か、今場所は男性が多い。これみよがしな女性たちが居ない。あの人たちも華だから見えないと寂しい。
きちんと和服を着こなして桟敷に座っているのもご苦労なことだと思う。
朝青龍はどうなったのか、場所が終わらないと話題に上らないのだろう。どっちでも良いことだが静かな方が土俵は楽しい。私は現在、好きな力士が居ない。気になるのは高見盛、彼が勝と一日楽しい。どうしてなんだか分からないが気になる力士だ。
3月十八日は浅草寺の示現祭、金竜の出現日。体調が今一なので迷ったが、天気がまーまーなので出かける。平日なのでまずますの人出、観光客、お年寄り、それに浅草寺幼稚園の園児たち、カメラマンも多い。
鳳楽さんと円丈さんが候補に挙がっているようだ。自薦だか他薦だかわからないが他にいないんだな、なんで慌てて襲名する必要があるんだろう。業界の都合で名前を継がれてもファンは迷惑。前に文楽が生まれたが、先代を継ぐ資格、実力があったんだろうか、先代を知るものには、とんでみない跡継ぎのような気がしてならない。
歌舞伎にも襲名があり襲名興行が盛り上がりのきっかけになっている。あちらは血筋、がものを言うことが多いが、養子縁組で、素養のある役者を早くから育てることもある。襲名してその名を凌ぐ役者もあれば、どうしても先代に追いつかない役者も居る。
圓生は百話のCDを発行しているように、まさに名人である。話の数だけではない、噺を語れる数少ない噺家で立候補したお二人では荷が重すぎる。殊に申し訳ないが円丈さんには継いでもらいたくない。円楽さんでも手を出さなかった名跡、もう少し若手の成熟を待ったら。
一太郎をインストール、これで日記のスタイルを形成、毎日の記録を残せる。写真の取り込みはまだ。写真がないんだ。データはすべて消滅。これも新規から始める。明日の金竜からだ、好天を祈るのみ。
相撲も三日目、なんだかんだ、言っても好きなんだつい見てしまう。五時半を過ぎると、入浴時間だからラジオのお世話になる。テレビには敵わないが、相応に楽しめる。とかくの批判があった朝青龍、いなければ居ないで何とかなるもんだ。居なくなったもんはいくら騒いでも仕方ない。さっぱりした。
それにしても日本の力士が活躍しないのも寂しい。戦争を負けた影響がこんなところにも現れているのだろうか。恐ろしい話だ。双葉山以前の頃からのお相撲ファン。玉錦、全盛の頃だ。そして双葉山。武蔵山、男女ノ川、私はどうしたわけか、旭川が大好きだった。肩すかしの決まり手が格好良く聞こえていたせいかも。
以来、双葉山に匹敵する横綱を知らない。
千代の山が越してきて、九重部屋が通りにでき、北の富士が盛り上げてくれたが、それで終わった。九重部屋も越してしまった。
歌舞伎好きと、相撲好き歳相応の楽しみだろう。